NPO法人 視覚障がい者国際協力協会(ICA)

視覚障がい者の自立を目指して

あいか通信81号 (2015年07月号)

        ケニアから 暑中お見舞い申し上げます

                            理事長 金治憲 

 前号の寄付のお願いでは、相変わらずの厳しい状況にもかかわらず、ご寄付をお送りいただきご厚志に心より感謝申し上げます。しかしながら財政状況はアッという間に赤字状態に戻っています。引き続きよろしくお願いいたします。

 

 梅雨明けと同時に、7月15日、日本を発ち、今一番寒い時季のナイロビに、2週間の予定で滞在中です。日本は連日猛暑のようですが、この一週間こちらは曇りがちで、現地の人々は寒い寒いという中、半袖姿の私は、寒くないのか?!と驚かれています。

 皆さんもご存じだと思いますが、7月24日から2日間の予定で、オバマ大統領が父親の国であるケニア共和国を訪問されました。ケニアには大統領のおばあさんがご健在で、妹さんや、近しい親族と談笑される場面など報道されたそうです。

 それにしても、ケニア国民の歓迎ぶりは大変なものでした。7月24日が近くなるにつれて、ナイロビ市内では、道路沿いの汚い壁には新しいトタンを貼り、そこにペイントをしたり、電信柱にペンキを塗ったり、そのために踏みしだいた花壇をまた後で修復したり・・・というわけで、普段でさえ渋滞している道路はますます大渋滞となりました。そして大統領が到着の日には、夜7時過ぎの到着というのに、朝から学校は休校、職場は殆どの所が午後は休みとなりました。警備のためにあちこちで道路が封鎖されるので家に帰れなくなるといけない、ということでした。

 この状況は大統領のケニア出発、26日まで続き、私たちも大いに影響を受けました。今回ばかりは会う約束をした人たちを、ただ待って、待って、待ちました。しかし、一方、私たちが宿泊しているゲストハウスから出たところにある、いつもは渋滞で排気ガスと埃が充満する道路は、つながっている道路が封鎖されているためか、車は少なく、どこででも横断できてしまうような状況もありました。

 また、今回はどうしたことか、会う約束をしていた2人の人の親族の方に不幸があり、日程調節が出来ずに会うことができませんでした。こんなことは初めてのことで、はたして、事はうまく進むのだろうか、と心配になりましたが、元気付けられることもありました。

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           ‘ASAAVIK’の発芽

 前回のケニア訪問で、受講生たちの様子を見ていて、これからは、ICAのパートナーとして育ってほしいと願ったASAAVIKですが、遅い歩みながらしっかり成長しているのを実感しました。

 彼らは、ナイロビ市内にある、日本のNPOチャイルド・ドクター・ケニア

(通信77号・80号で山平さんが紹介されました)が運営するクリニックから小さな2部屋のコンテナを借りて、あん摩・指圧クリニック兼ASAAVIK事務所をオープンしようと準備中でした。ナイロビ市の営業許可をとり、様々な手続きを経て、ようやくここまで来たのです。

 詳しい報告は次号でいたします。

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                池州訪問

 2015年3月号で紹介しました李雁雁(リ・イェンイェン)君に会って来ました。同行した妻が、その様子を書いてくれたので掲載します。(金)

                              関 展枝

 今年2015年の4月24日、上海空港に着いたのは午前11時30分、羽田からわずか3時間のフライトです。思いのほか入国手続きもすんなり済み、到着ロビーでイェンイェンさん一行の出迎えを受けました。20年ぶりの上海での再会に、夫とイェンイェンさんは、お互いに太くなった肩をたたき握手しあいながら声を詰まらせていました。今回の旅はイェンイェンさんの篤い招きによって実現したのです。

 さて、ここからが長旅でした。上海から目指す池州までは500kmの道程、今は高速道路も出来ていて、車も多くはないのですが、5時間かかってようやく到着しました。

 

           ≪ 日本 そしてアメリカへ ≫

 夫が、前の協会でアジアやアフリカの盲学生の日本留学への受入れ事業をしていた1995年、中華人民共和国からの盲留学生として初めて選ばれたのが、イェンイェンさんでした。必要な手続きを済ませた後、この年の2月、夫は上海まで彼を迎えに行ったのでした。

 イェンイェンさんは協会で日本語や日本で生活をするための予備教育を受けた後、八王子盲学校高等部専攻科で学ぶことになりました。それから3年間、日本で様々な経験を重ねながら無事八王子盲学校を卒業し、鍼・灸・あん摩マッサージ指圧師の免許も収得しました。その後、彼は筑波大付属盲学校で1年間学び、更なる学びを求めて単身アメリカへ渡りました。

 しかしまったく頼るところのないアメリカで、マッサージのアルバイトをしながら、言葉を学び、大学探しをし、カイロプラクティックを学ぼうと突き進んだのでした。それは健常者にとっても並大抵のことではなく、本当に大変だったことと想像できます。

 しかし彼の粘り強く真面目な学業態度や、困難を切り開こうとする積極的な行動が徐々にまわりの人の心を動かしたのでしょう、アメリカの新聞が、苦労しながらも頑張る彼の姿を記事にすると、やがて香港系の教育財団から奨学金をもらえるようになり、さらには中国政府から私費留学生向けの、奨学金も得られるようになりました。

 そして4年半後、めでたくカイロプラクティックの大学を卒業し、視覚障害者では世界初といわれるカイロプラクタ―の資格を得たのです。この快挙は再びマスメディアで取り上げられ、その後、中国本国のテレビでも放映されたそうです。

 

                ≪ 現在は ≫

 2007年、老齢の母親と暮らすために中華人民共和国に戻りました。初めは、北京にある障害者中央連合会の盲人研究所で働きましたが、その後、故郷の安徽省池州市に帰り結婚して、母親を看取り、今は奥さんと4歳の息子トットゥ君との三人暮らしです。カイロプラクティック治療院の経営で生計を立て、経済的にも何不自由なく暮らしています。そのほかに 名誉職として安徽省の障害者連合会副会長及び安徽省盲人協会の会長を務め、社会的にも認められている存在です。

 特筆すべきは、彼の携帯に入っているアドレスが2900人分だということ。彼は私たちと同行している間、ずっとその様子をネット配信して大勢の人と交信したり、必要に応じては随時助っ人を頼むなど、このネットワークをおおいに活用していました。私の考えていた以上に彼と彼を取り巻く人々との結びつきは強く、そのなかで、豊かに逞しく生活を楽しんでいるのだと思いました。

 

             ≪ 楽しかった池州市 ≫

 上海空港から4泊5日の旅にずっと付いて案内してくれたイェンイェンさんと彼の優しいお兄さん、気のいいタクシーの運転手さん、そして豪華な手料理でもてなしてくれた奥さん、加えて集まってくれた彼の友人たちに、まず感謝!そして感謝です!

 毎朝ホテルへ迎えに来て、観光案内をしてくれ、夜は知人達と賑やかに会食し、ホテルまで送ってくれるという、至れり尽くせりの気遣いをしてくれたイェンイェンさん、本当にありがとう。

 池州市は揚子江流域にあって、最近発見された古代文明の遺跡もあり、その後も綿々と続く悠久の歴史を刻みつづける美しい自然に恵まれた観光地です。世界遺産名刹九華山もあります。石碑に刻まれた有名な漢詩を発見して小躍りするなど、日本人でも身近な楽しみが多いと思います。

 上海からは国内便も飛んでいるので、是非遊びに来てください、とのイェンイェンさんからの言付けです。どうぞ皆さまもお出かけください。きっとイェンイェンさんが皆さんの訪中を歓迎してくれることでしょう。

次回はイェンイェンさんからの安徽省の盲人事情をお伝えします。