NPO法人 視覚障がい者国際協力協会(ICA)

視覚障がい者の自立を目指して

あいか通信73号 (2014年3月号)

             大雪、大丈夫でしたか?

                            理事長 金治憲

 突然、春になってしまいました。この冬東京は45年ぶりの大雪でした。

 それも28日、215日の2回、27cmも積もりました。雪国の方たちにとっては、な~んだ、という程度のものでしょうが慣れない私たちにとっては大変なことだったのではないでしょうか。私も、この時ばかりは妻に事務所まで送ってもらいました。この雪では患者さんは来られないだろうと思ったのですが、やはり行かないわけにはいかないと思ったのです。ところがなんと、8日も15日も患者さんは予約通り現れました。雪国の育ちなのでこんな程度で止めるわけがない、とのこと。いやはやごもっともです。

 降雪2度目の15日はケニアへ向けて出発の日でした。 国内線の空の便は欠航でしたが、国際線は動いており、運行停止だった電車も次第に動き始めており、そんなに心配していませんでした。そこへ森山さんから電話です。空港へ向かう前に事務所に来て仕事を少し片付けてもらい、一緒に空港へ向かう予定でした。

「バス停に行ったらバスは動いてないし、タクシーも無い。仕方ないから駅まで歩いているのだけど、永久に着きそうもない」

と脅しの一言。頑張って来てもらうしかありません。彼女の住む街は坂の多い住宅地です。後で聞いたところによると、やっとひと山越え、窪地になっている交差点にくると、そこはまるでかき氷の池、陸地と思しき白い塊に足をかけて踏ん張ると体と鞄の重みでグシャッと崩れて池が広がるばかり。次の上り坂を見上げて、ほんとに駅に着くのだろうかと思ったそうです。

 やっとこちらの駅に着いたところを、せめてあの重い鞄を運ぶ手伝いくらいは、と妻に迎えに行ってもらいましたが元気に到着、後の仕事を妻に頼んで、とにかく空港には着いておかねばと事務所を後にし、無事に成田を出発することができました。

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              KISEとの話合い

                             森山 七穂美

 ケニアに到着してみると、ナイロビは雨期に入る前だというのに、10日間も毎日雨が降っているとのこと。時折、雲間から射す陽で木々の緑や草花の色が今までになく鮮やかです。道路がちょっと低くなると排水溝から水が溢れ、こちらは、かき氷池ならぬミルクティーの池です。最初の23日は夜毎に激しい雨が降り、うすら寒い天気でした。

 さて、今回のケニア訪問の主な目的は、KISEでの開講を目指したあん摩指導者養成コースを準備するための話合いです。まずは、KISEに前回約束した短期コースのためのカリキュラム案を提示しました。これからKISE側で、それをケニアの標準的なカリキュラムにするために検討に入ります。

 話合いでは、その他に、短期コースに入るための応募者の要件は? 受講者は何人くらいとれるのか? 短期コース1年間の時間配分は? 授業料はいくらかかるのか? 視覚障害者の経済状態は厳しいと思われるが、最初の受講者にICA側からの援助はあるのか? KISEのスタッフからも希望者があれば受け容れて欲しい、あん摩を学ぼうとする人たちに希望を持ってもらうためにも日本からの講師の他に既にあん摩を学んだケニア人にも技術指導アシスタントとして参加して欲しい、等々、これから検討すべき事や希望を出し合いました。

 いずれにしても、国の行政機構や実状、さらに文化が大きく違う日本とケニアとで協力しながら進めていこうとしているわけですから、何もかもがお互いに初めてのことです。一旦話合いが始まると、56名のKISE側メンバーから其々に質問や意見ありで、対応する側としては大変なものです。誤解や聞きもらしがあっては大変、と元留学生のフィリゴナさんを通訳に頼み、話合いに臨んでいますが、言葉の壁の大きさを実感しています。彼女もさぞかし疲れていることでしょう。      

 KISEとの話合い3回目を終えて、細かい部分はカリキュラムが決まらないと進めないにしても、これまでのところ大筋で合意したところは確認しておきたい、と思っていたちょうどその時に、そろそろMOU (Memorandum of Understanding)を作りましょう、という話が出ました。

 そうか、覚書・・・こちらが理解したように、それまでに決まったことを確認しておきたい、とICA側で引受けました。 MOUとして8項目にまとめ、A4サイズ1ページに収めて4回目の話合いに臨みました。 双方で1項目ずつ確認し合い、さらに1項目を加え、これで完成、と思ったところで、KISE側から、これをケニアでいうMOU にまとめて後日送るので、サインして欲しいと申出があり了解して帰って来ました。

 間もなく日本で受信したMOUを開けてびっくり! 表紙とサインする欄だけで2ページありましたが、これはともかく、なんと本文がA4サイズ4ページもあります。これは私たちが考えていた単なる覚書などではなく、どうも、れっきとした契約書ではないですか。見覚えのない単語が連なるのを、辞書にかじりついてどうにか読み終えましたが、釈然としない部分は何ヶ所も残ります。結局、迷惑は承知で、こういう文書に慣れている方に協力を仰ぐことになりました。一緒に読んでもらいながらアドバイスなどもいただきホントに助かりました。ありがとうございました。

 細部について話合うこれからが正念場です。

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         マチャコス視覚障害者技術訓練校 その後

 

 残念ながら、先の通信72号でも報告しましたが、未だにあん摩・指圧コースの講師は決まらないままで、今年1月からは休講という状況です。

 JICAでは青年海外協力隊員の募集は続けているそうです。

 

             ~~~ お詫びと訂正 ~~~

 先の通信722ページ、青年海外協力隊員でMTIB講師の清水さんのお名前を朋子さん、と表記しましたが、正しくは、朋江さんです。大変失礼いたしました。

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         ⑦ ボランティア活動 2  農業調査

                             山平 健人

 Stars for Jesusで一か月ほど過ごしたある日、私に神父さんを紹介してくれた方から、「西部で農業調査をしている団体があって、君を受け入れたいと言っている」との連絡がありました。私はもともとアフリカの食糧問題に興味があり、農業についても興味があったので、かなり迷いましたが、Stars for Jesusを離れて、西部に行くことに決めました。子供たちは大変寂しがってくれましたが、それでも自分のやりたいことをやることが大切だと言って、盛大にお別れ会まで開催してくれました。

 さて、新たな活動場所となった農業調査機関ですが、ケニア西部のSegaという村にありました。ケニア第3番目の都市のキスム(ビクトリア湖のほとりの都市)から北にかなり上がっていったところにある小さな村です。村は小さいですが、ここでは農業に関する様々な取り組みが行われていました。まず一番驚いたのは稲作です。Segaに来るまでケニアで稲作が行われているイメージは全くありませんでした。しかし、SegaではJICAのサポートの元で大規模な稲作が行われていました。「この水田は日本人が技術指導してくれ、今自分たちが大切に管理しているんだ」と誇らしげに教えてくれたケニアの青年と、延々と続く水田を目にした時、日本の支援が確実にアフリカに届いていることを実感し、日本人として大変誇りに思いました。

 さて、Segaでの活動ですが、主に畑を回って協力農家から、生産物についての情報を聞いていくというものでした。この活動を行うにあたり、大変悲しい出来事がありました。畑を回る際の手段として、自転車が与えられたのですが、そのサドルとペダルの距離があまりにも離れていて、足が届かなかったのです…。現地のスタッフは大笑い!「日本人は車を作る技術はあるのに、自転車に乗る技術はないのか?」と厳しいツッコミが入りました…。さらに、その自転車のサドルの固いこと!ケニア人のお尻は鉄で出来ているのか?と疑いたくなるくらいの固いサドルなのです。加えて道はもちろん舗装などされていない凸凹道です。今度ケニアに来るときには、絶対柔らかいサドルを持ってこようと誓いました(笑)最終的に私が発見した対策は、「立ちこぎ」でした。一日中立ちこぎして、自転車に乗り、ご飯はウガリという生活を一か月ほど続けましたので、この時の私は今までで最高にイイ身体になっていたはずです

 

次号 ⑧ボランティア活動 2農業調査(後半)へ、つづく。お楽しみに。