NPO法人 視覚障がい者国際協力協会(ICA)

視覚障がい者の自立を目指して

あいか通信37号(2008年3月号)

             事業変更について

東京では桜の花も咲き始めました。皆様いかがお過ごしでしょうか。

皆様もご承知のように、ケニア大統領選挙の影響が思ったより長く続いております。協会では現地と連絡を取り合いながら講習会の日程を検討してきました。その結果、参加者の安全を第1に考え、残念ながら今年度の講習会は中止し来年度に行うことに決定しました。(事務局より)

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         闘病日誌  癌との付き合い (最終回) 

                           荒木久子(事務局) 

19年4月から始めた飲む抗がん剤も7月には副作用がだんだん強くなり、食欲不振や吐いたりすることが続き軽い脱水症状を起こして緊急入院を2度ほどした。

身体への負担を考え8月中旬で中止にした。そのまま治療はしないでいた。肝臓以外にも癌があるかもしれないので11月に入って新しく認証された薬を使い根絶に持っていこうということになり、また以前のように点滴で4時間くらい注入しポンプをつけて家に帰る。約2日間少しずつ入れポンプが空になると終了。

ところがこの薬が既に弱っていた身体には負担が大き過ぎた。3日目には吐き気、食欲不振、脱毛(2度目)と副作用が現れ、これ以上は使えないので暫らく積極的な治療は中止にして検査のみをした。CT検査で肝臓に再発が見つかった。これ以上抗がん剤は使えない。今年になってマーカーが1,000を超えた。2月には4,700、3月8,200と増えていく。このまま何もしないではいられないということで、乳がんに良く効き最近消化器系にも効くという飲む薬を3月18日から飲み始めた。食欲不振はあるが今のところ強い副作用はない。ただこの薬が私に合うかどうかが問題である。

主治医に「今の状態では完治は望めません。すぐに入院をして治療を少しずつでもやりながら、という方法もありますが、貴女のようにやりたいことも行きたい所もある人をベッドに縛り付けておくことは果たして生きている意味があるか。それよりは様子を見ながら家で生活でき、行きたい所へも行って充実した日々を送らせてあげたいと思いますがいかがでしょう。東京にいて友人や知人の助けを受けて頑張るか、生まれ故郷へ帰って家族の下で過ごすか、それも考えてみて下さい。どちらにしても元気で出かけたりできるのは後数ヶ月かもしれません」と言われた。

はっきり言ってもらって私は覚悟ができた。やりたいことも行きたい所も考えながら残された時間を大切にしたいと。

ある医師の書かれた本に“癌はその人の身体の中でしか生きられない。ウィルスの一種だからたとえ他の人の身体に入れてもその人の抗体にやられて死んでしまう”と。私の身体の栄養を摂って成長した彼ら?は暴れれば暴れるほど私の体は弱っていく。私の終わりは彼らの終わりだと言うことを知らない愚かな者と思うと何だか彼らがいとおしくさえなってくる。

出来るだけおとなしくしてもらってこれからの日々を彼らと共に送ろうと思っています。罹った病気が癌で良かったと思う。なぜなら終わりの時まで時間がある。その間にゆっくり準備をすればいい。

約1年間拙い文章にお付き合いいただき有り難うございました。元気にしておりましたらまたご報告することもあるかと思いますが。

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ケニアのマチャコス視覚障害者技術訓練校であん摩を指導している五味哲也さんから1年間の実績報告が寄せられましたので掲載します。

         皆さんHABARI?(お元気ですか?)

                   JICA青年海外協力隊員  五味 哲也

ご存知でしたか?昨年末ケニアでは5年に1度の大統領選挙が実施されました。注目は現職のキバキと最大野党のライラの一騎討ち。

ケニアは42民族から構成され未だ民族主義がケニア政治を占めているので最大民族のキクユ人と第二勢力のルオー人の主導権を争う戦いとなりました。とはいえ「東アフリカの優等生」と言われるケニア。ケニア人も含めて私達JICA関係者も大した混乱はなかろうとの予測でしたが、次々と明るみになる選挙の不正、汚職。ルオー人の多いケニア西部ではキクユ人に対する放火、略奪、殺人が激化。ナイロビのスラム街周辺でもデモや暴徒が発生し大量の避難民が出ました。

日本に留学していたフィリさんの家の周りにも脅迫状がばら撒かれ、フィリさん自身も故郷へ避難していました。私達も年末からナイロビにて避難生活を余儀なくされ、残念ながら2ヶ月経った現在でも帰任できる見通しはありません。

昨年11月末に私の最初の生徒達が卒業しました。赴任当初からの最大の懸案だった卒業後の彼らの進路や仕事先の開拓。最大のネックはケニア人にはマッサージを受ける習慣や文化が無い事です。多くは高級ホテルやサロンにあるお金持ちを対象にしたオイルマッサージがあるだけです。まさに0から需要を作っていかなければなりませんでした。

大きく分けると、①ナイロビでのマーケットの拡大、②マチャコス住民へのアピール、③あん摩そのもののケニア社会全体への普及。

①    ナイロビではICAが以前行った「あん摩セミナー」受講者達が主にナイロビ在住の日本人社会で活動していますが、日本人はいずれケニアを離れる人達ですから継続的なアプローチを絶やすと先細りとなります。そしてマチャコスからは続々と私の生徒が参入してきますから競争も激しくなります。

具体的には高級アパートや日本大使館でのデモンストレーション・各団体でのチラシ配りなど行っています。限定的な日本人のみならず欧米人などの富裕層に対してもアプローチしなければなりません。高級ホテルへの営業やカフェ、ショッピングセンターの掲示板にチラシを貼らせてもらうなどしています。最近は欧米人社会へのアプローチのきっかけもできつつあるので今後チャンスがあれば営業したいと考えています。

②   私がナイロビに上がるのは月に1回程度ですから、マチャコスが本拠地です。マチャコス住民へのアピールというよりは生徒が卒業後にそれぞれの故郷へ帰った時に一人立ちできるように、自ら外へ向かっていく勇気や営業力を持たせる、また学校の練習のみで終始しがちなあん摩を社会で行うことによって彼ら自身が自信や喜びを感じる事が重要だと考えています。

いくつかのイベントにベッドを持って行きデモンストレーションを行ったり、教会でのデモンストレーションでは私が施術するマットレスの周りを80人近い人達が取り囲み、ネクスト患者サークル(?)の場所の取り合いをする始末でした。と、同時に雇用を自ら創出する為に、またあん摩をケニアの文化にする為に町にクリニックを開業する事を将来できればいいねと関係者と話していました。

その悲願であるクリニックがケニア人篤志家の協力もあり、マチャコスバスステージ前にアフリカ初の「あん摩フィジオセラピークリニック」としてオープンする事ができました。このクリニックは初めて一般のケニア人に対して開かれたクリニックです。ここが成功すればここをモデルケースにして卒業後の生徒達がそれぞれ故郷に帰った時に自宅で開業する際のノウハウに活かせると思っています。まさにこのクリニックの成否が今後ケニアにあん摩が受け入れられるかどうか、とても重要と考えています。

しかしながら開業の形が出来上がったところで私の避難生活になってしまったのでこれから帰任できたら、てこ入れを行っていきたいと思います。現在は私の卒業生2人が勤務しています。彼女達にとっては自分達で部屋を借り、食事を作るという晴眼者の助けを借りずに自立している事が素晴しい事と思います。

③   多くのケニア人にあん摩を知ってもらいたい、また効果的に一度に沢山の人達へアピールする方法としてマスコミの活用を思いつきました。

ケニア人はスポーツが大好きです。特に一番人気はサッカー、その次はアフリカNO1の実力を誇る女子バレーボール。それらのチーム練習前後にあん摩を受けてもらい、その際は“視覚障害者がスポーツ選手にあん摩をする”という触れ込みでテレビ・新聞・ラジオ局へ取材を依頼する。

幸い女子バレーボールは日本でのワ-ルドカップ行きを控えていたので快く引き受けてくれ、幾つかのテレビや新聞、ラジオで取り上げられました。そしてそこにいた取材陣にはマチャコスの生徒からの手紙を渡し、あん摩がアフリカで初めてスタートした事や、日頃の彼らに対する差別是正などの内容で興味を引かせマチャコスにも取材に来るようにアピールしました。 

日本ではケニアといえばマラソンを思い浮かべる人も多いと思います。ケニア最大のスポーツイベント「ナイロビ国際マラソン」は世界各地から強豪選手が集い、当然国民の耳目を集めます。私達はこれをチャンスと見、スタジアムの中で「無料あん摩サービス」を企画しました。

しかし、主催銀行側は得体の知れない私達に対して最初は冷ややかな対応でした。私達あん摩師側も一枚岩とは言えず、前日まで本当に実行できるのか?冷や汗ものでした。が蓋を開ければ大成功!!私達のテントをランナー達が取り囲むように列をなし、順番争いをする彼らをコントロールするのに私達補助者も大声を出す始末。あん摩師たちも6時間昼食を取らずにぶっ続けで施術しました。

幾つかのマスコミにも取り上げられましたが、一番の成果は彼らがこの大きなイベントに参加し最後まであきらめずにやりきり日本人とケニア人一緒になって協力できたことは大きな自信にもなり、私の帰国後も彼らの財産になると思います。次は彼らのみで企画し毎年の恒例行事として残ってくれればと思います。

初代の隊員としてケニアにあん摩コースを軌道に乗せ、更にマスコミへのアプローチ、イベントごとへの参加、クリニックの開業と道を切り開いてきました。残り任期は7ヶ月。政治状況は不安定ですが、この作った道を更に大きくし、次の協力隊員にうまくバトンタッチできるように残りの任期を全うしていきます。