NPO法人 視覚障がい者国際協力協会(ICA)

視覚障がい者の自立を目指して

あいか通信54号(2011年1月号)

 

        遅ればせながら  新春のお慶び申し上げます

                           理事長 金治憲

今年も、東京のお正月は穏やかな晴天でしたが、昨年末から本格的な冬の到来で、大雪や強風に見舞われたところもありました。ここにきて日本海側では記録的な大雪でしたが、皆さまのところではいかがでしたか。被害に遭われた方などいらっしゃらないだろうかと案じております。

本年も皆さまにとって良い年でありますよう、お祈り申し上げます。

また、前号で年末ご寄付のお願いをしたところ経済状況が大変厳しいにもかかわらず、多くの方より暖かいご寄付をいただきました。深く感謝申し上げます、と同時に、どうぞ引続きよろしくお願いいたします。

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             台湾の元留学生を訪ねて

さて、年の始めですのでうれしい報告から始めます。

前から元留学生たちに誘われていた台湾へ、1 月20日から妻と二人で遊びに行って来ました。観光を終えて最後の夜と、帰る日は、かつて日本に留学した、シェ・インチャン君、リン・ミンフィ君、リン・ブンキン君の3人と、その家族、友人たちと楽しい時間を過ごしてきました。

金理事長に、かつて留学中、相生町の金家で、夫妻とともに雑魚寝生活に耐えた同志3人と、オールスターキャストの記念写真を持ち帰ってくれるようにお願いしておいたのですが、現地への到着が遅れ、慌てて約束のレストランに向かい、カメラを忘れてしまったのだそうです。

残念ながら同志3人の姿はありません。同志2 人のみの出演です。悪しからず。

                            (通信担当:森山)

 

私は、お土産を買うのが大変難しいので、どこへ出かける時も手ぶらで行き、その代わりに食事をご馳走することにしています。これが私流のお土産です。ところが、今回は、彼らが私に全然払わせてくれませんでした。そのうえ、お土産まで貰ってきてしまいました。

15年ぶりに彼らに再会した妻の開口一番は「みんな白髪混じりになったわねえ!」でした。そこで彼らの年を確認すると、43・46・47歳でした。3人のうち最初に日本に来たシェ君とは、30年に近い付き合いになっています。彼は今、台北市立啓明学校(日本でいう盲学校)の教員として働いており、中学3 年生の一人娘がいます。

ミンフィ君は週4 日、病院でマッサージ師として、残る2 日は、ある企業のヘルスキーパーとして働いています。彼にも小学校4 年生の一人娘がいて、勉強の良くできる子だ、というのが彼の自慢です。

ブンキン君は自宅で開業しています。独身です。私はまず、食事のことが心配で、どうしているのか尋ねたところ、台湾は家庭のある人でも日常の食事は外食が大変多いのだそうです。だから食事に不自由はなく、慣れると一人もいいものです、ということでした。

3人ともマンションを買ってローンの支払いも既に終えたとのことでした。これこそ、私たちの目指す自立です。 ほんとにうれしい再会でした。皆さんにも、是非、台湾に遊びに来て下さいとのことでした。

 

              台湾のあん摩事情

そこで話された最近の台湾のあん摩事情について、少し触れておきます。

今まで、世界で視覚障害者だけにあん摩師の免許を出しているのは韓国と台湾だけでした。ところが晴眼者からは、視覚障害者だけにあん摩師免許を出すのは、職業選択の自由に反する、とのことで、何度も訴訟が起こされて来ました。

しかし、韓国では、生存権が職業選択の自由に優先するとされ、現在も視覚障害者にだけあん摩師免許を出しています。一方、台湾では2008年10月30日、視覚障害者だけにあん摩師免許を出すのは職業選択の自由に反するとの判決が出され、3年間の猶予期間を経た後、晴眼者にもあん摩師免許を認めることになりました。

その代わりに現在自営のあん摩師には、他の職業に変わるための準備金として、1年目は1ヶ月につき1万NT(約3万円)、2年目は6千NT を支給するとのことでした。今のところ台湾には晴眼者のあん摩師を養成する学校は無く、中医師の免許を持っている人だけはあん摩が出来るということです。2年間の準備金を貰うにしても、視覚障害者にとってはそう簡単に他の職業に就くことが出来るわけではないでしょう。

私が高雄のホテルに泊まった時、実際にあん摩を頼んだところ、無免許の晴眼女性が来ました。現場の状況を知りたかったのですが残念なことに日本語も英語も通じませんでした。しかし、無資格者が、たくさんあん摩師として働いていることだけは間違いないようでした。

また、日本へ戻る日にも台北でシェ君に案内してもらって近くの治療院を訪ね、あん摩をやってもらいました。あん摩師は4人で、そこには5台のベッドがあり、それぞれカーテンで区切られていました。私を担当した35歳の男性は大変上手でした。

晴眼者に、あん摩免許が出されていない今でも、ホテルなどでは、当たり前のように無資格の晴眼者が働いているのに、2011年10月30日に猶予期間が終わり晴眼者にあん摩師免許が解禁された後、どれくらいあん摩師が増えて、自分たちの仕事が減っていくのか予想もつきません。不安な日々です。と異口同音に言っていました。

私の経験から言えることは、無資格者と有資格者とでは、技術的には雲泥の差があるということです。法律が変ってしまった以上、これからは腕一本で勝負していくほかないでしょう。ただただ、彼らの健闘を祈るばかりです。

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               事務局から

先日、広尾のJICA 地球ひろばで開かれた『経理処理説明会』なるものに出席して来ました。

説明をききながら、今年の4月からは、JICA の委託事業として展開している「ケニア第二プロジェクト」も3年目の最終年度に入るのだと思い至りました。残る1年、貴重です。

年2回、定期的に行っている講習会は順調です。少しずつではありますが、受講生たちの技術力は確実に上がってきています。現在こちらでは、この2月に使用する英文テキストを作成中です。

一方、あん摩治療院開設支援の方となると、そうはいきません。まずは、あん摩の認知度を上げることが前提だ、と、あん摩デモンストレーションの実施や、地方在住者の職場開拓を目指して、観光地などへのあん摩キャラバン隊派遣の計画をしていますが、何かに取りかかろうとする度に、その前提となるものが、立ちはだかってきます。

遠い日本から、直接取りかかれることに時として限界を感じることもありますが、「あん摩のあの字も無かった所でやることなのだから当たり前」が、前提である、ということだとその度に思い知らされます。

「大変と思うから大変なんだよ」というキムさんの声が聞こえてきそうです。

 

例年、この時期にお願いすることですが、書損じた葉書、残ってしまった年賀状などありましたら、お手数ですがお送りください。

毎回、切手に交換して『あいか通信』の発送に使わせていただいています。どうぞよろしくお願いいたします。