NPO法人 視覚障がい者国際協力協会(ICA)

視覚障がい者の自立を目指して

あいか通信39号2008年7月号

             暑中お見舞い申し上げます

 

東京は、毎日真夏日が続いています。皆様いかがお過ごしでしょうか?

前号で、ご寄付と書き損じ葉書の提供をお願いしましたところ、早速多くの方からご寄付と葉書が寄せられました。本当にありがとうございました。

引き続きよろしくお願いいたします。

現在、事務局ではケニアの講習会へ向け準備を進めております。今年から福井盲学校の窪田清和先生にも講義をお願いすることになり、先日、東京で打ち合わせを行ったところです。

 

今号は、皆様から寄せされた荒木さんへの文章を掲載し、追悼号といたします。

(事務局より)

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                      ジョセフ・ンジェンガ (ケニア)

荒木さんが亡くなった悲しいお知らせにショックでなんと言っていいか言葉がありません。荒木さんは私が日本に留学していたとき、とてもお世話になりました。

荒木さんは留学生の面倒をみるとき、留学生がまちがったことをすると厳しかったのですが、病気になったとき、とてもやさしく看病してくださいました。

特にわたしが国際視覚障害者援護協会のビルのなかにある消火器に誤って触れ、消火器から泡が吹き出し、協会中が泡だらけになって濡れてしまうという大失敗をしたとき、荒木さんは全然わたしを叱らず、掃除の始末をされ、わたしにはほんとうにやさしかったです。荒木さんのやさしさ、ずっと忘れません。

荒木さんが、神さまの手のもとで安らかに眠られますことをお祈りしています。

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                   ロイ ビッショジト(バングラデシュ)

「あいか通信5月号」を読ませていただき、寂しさと悲しみで胸がいっぱいになりました。荒木さんがこんなに早くお亡くなりになられるとは思ってもいませんでした。

私が1996年に来日してKF会館に到着したとき、玄関で迎えてくれたのは荒木さんでした。そのことは昨日のように覚えています。

それから5年間(盲学校時代、教員養成時代を合わせて)大変お世話になりました。来日後1ヶ月間会館に滞在しました。荒木さんが作ってくださった美味しい料理のおかげでホームシックの寂しさを解消できたことを覚えています。

また、冬休みや春休みに皆留学生が会館に戻ってきて大人数になってもその料理の美味しさは相変わらずでした。私がカレーライスを3杯おかわりしたことを今でも皆に自慢しています。

荒木さんは、食事だけではなく、日常生活のすべてにおいて留学生を自分の家族だと思ってともに生活なさっていたと思います。一緒に紅白を見たり初詣に行ったりなどたくさんの思い出があります。荒木さんは、日本の生活や文化について、我々盲留学生に優しく、時には厳しく、まるで母の愛情を持って教えてくださっていたと思います。

その荒木さんが、癌を患っておられることを通信を読んで知りましたが、こんなに早く我々から離れていってしまうとは思いませんでした。会うことができなくても、電話で少しでもお話ができたらと悔やんでいます。寂しさと悲しみで胸がいっぱいです。心からご冥福をお祈りいたします。

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                             李 栄華(韓国)

私が初めて荒木さんにお会いしたのは、1992年9月、金先生と荒木さんが韓国からの留学生受入れに先立って韓国へ面接に来られた時でした。その後、入試のために日本に行った時、荒木さんのご自宅にホームステイさせていただきました。そして私は留学生となりKF会館で日本での生活に備えていろいろなことを荒木さんに教わりました。

それまでは賄い付きで仕事をしていたので料理などしたこともなく、初めて、料理をガスのつけ方から教わりました。現在、まがりなりにも自立できているのは荒木さんのおかげだと思うと、あらためて感謝の思いでいっぱいです。

二人で旅行もしたし、荒木さんのご実家にも連れて行っていただきました。

4月にお見舞いした時には、マッサージをしながら楽しい話をいっぱいしたのにこんなに早くお別れすることになるとは夢にも思いませんでした。

荒木さん、天国でゆっくりお休みください、そしてこれからもどうぞ見守っていてください。

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                     フィリゴナ・アチョラ(ケニア)

皆さん、こんにちは。お元気ですか?

日本の天気はいかがですか。ケニアは暑かったり寒かったり時々雨も降っています。風邪をひいている人たちがたくさんいます。

荒木さんについて書くことはたくさんありますが、今日は少しだけ書きます。

1995年にキム先生と荒木さんが盲留学生の面接のためにケニアに来た時、荒木さんと初めて会いました。荒木さんと私はほとんどコミュニケーションできませんでした。でも、荒木さんは英語の単語を並べてお話をしようと頑張っていました。笑いながら話をしていたのでどんなに明るい人だろうと思いました。私も荒木さんと会話ができるように早く日本語を覚えようとしていました。

1996年留学のため日本に行った時、1ヶ月ほど荒木さんとKF会館で暮らしていました。毎日日本語と日本の文化を教えていただきました。荒木さんが作ってくれたおいしい料理を食べながらいろんな話をしました。困ったことがあったら心配してくれたし、叱られることもたびたびでした。大変厳しくまた優しい人でした。

荒木さんと知り合いになってから心に残っていることは、癌と診断された時の話です。2006年3月に癌の手術をして12月にケニアに来ました。会った時に癌なんて大したことではないわよといわんばかりに癌の話をしてくれました。どんなに強い人だろうと思う反面、怖い思いをしたことを憶えています。

「あいか通信」に書かれた癌のことは全部読みました。やっぱりかわいそうと思いました。荒木さんはとても強かったです。亡くなられたことはとても残念!!! さようなら、荒木さん、いろいろお世話になりました。いつかまた会えるでしょう。あなたのことは、一生忘れません。

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                          宮城裕見子 (在ケニア)

荒木さんの突然の訃報、あまりにも悲しいです。今年の4月に盲人仲間と会ったとき、荒木さんは快方に向かっておられると聞き、みんなで安堵した矢先だったのでとてもショックです。

長きに渡って盲人を援護する事業を金先生とともに歩み支えられた荒木さ

んの全身全霊をかけた愛の仕事は、世界各地で活躍する盲人たちのこころのなかでこれからも生き続けます。

荒木さん、本当にありがとうございました。

荒木さんのご冥福をケニアよりこころからお祈り申し上げます。

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青山  久美子(名古屋)

 今では、長く親交のあった友という気がする荒木さんだが私は4回しかお会いしていない。5年程前に協会の総会に出席した時が最初で、二度目は3年前に夫が頸椎の手術を受けた時、はるばる名古屋まで金先生と共にお見舞いに来て下さった時だ。そして三度目は、昨年の1月、北海道で韓国済州島の視覚障害者の方々を迎えての、スキーを楽しむ交流会の折りだった。

その時、私は荒木さんと二晩同室した。一日目の予定が終わってホテルに戻り、床に着いた時、荒木さんといろいろお互いのことを話し始めた。話し込むうち、荒木さんがガンに冒され厳しい闘病生活をされていることを知り愕然とした。しかし、そのような大変な状況にありながら、明るく吹っ切れた印象を受けて、私は内心驚いていた。話の中で、荒木さんがしきりに「祈り」という言葉を口にされるので、教会に行っていらっしゃるのですか、とおききしたら、そうですと答えられた。カトリック教会の信者さんということを知って、その時受けていた印象に納得した。ガンを宣告された夜は泣いて泣いて、こんなに泣けるのかと思う程泣いたが、それで不思議な位気持ちが落ち着いたと語られる荒木さんの一言一言を聞きながら、すごい人だという感動を覚えたものだった。

これまで長い間、国際視覚障害者援護協会で金理事長のお働きを支え、視覚障害者国際協力協会に変わられる際にも毅然とした姿勢を貫かれた。海外にも何度も同行され、病気になられてからも、活動を続けてこられたそのエネルギー源は、荒木さんの生来の明るさとがんばりに加えて、キリストを信じる信仰に裏打ちされていたものなのだと確信している。

今年の5月18日の総会に久しぶりに夫と出席したが、その1時間前に入院先の病院に荒木さんをお訪ねし、言葉を交わすことができた。この時が、荒木さんにお目にかかる4度目であり、最後の時となった。荒木さんと私の誕生日が同じ年の、きっかり1ヶ月違いということもあり、同じクリスチャンとして、これから良い交わりが許されるのではと期待していた矢先の、あまりにも早いお別れとなり、残念でならない。

荒木さん、本当にごくろうさまでした。そして、ありがとうございました。

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            「荒木さん、またやりましょう」

                          青山章行(名古屋)

荒木さんは、自分の癌のことを金さんから「あるがままの体験談」を書くように頼まれて、私共の「あいか通信」に彼女独特の文章を連載して書き綴ってこられた。しかしその最終回を3月号で書き終えられたその矢先、われわれがこれらの文章を十分に味わう間もなく、地を蹴るようにして天国に昇って行ってしまわれた。

5月21日の朝、金さんから電話で荒木さんの昇天されたことを告げ知らされたときから、私は心に空洞ができてしまったことを未だに感ぜざるを得ない。私の仕事の都合で葬儀にも出られない、このもどかしい寂しさを抑えることは到底できなかった。しかし金さんは「告別式に来なくてもよい。5月18日、まだ彼女に意識のあるうちにあなた方ご夫婦でお見舞いにきてくれたことを、彼女はとても喜んでいた。彼女に天国で会えるかどうか、そんな彼女に迎えてもらえるかどうか、それは私たちの今後の働きにかかっていると思う」と語られた。私は金さんのその言葉に慰められ、支えられ、ことさらに荒木さんの近しい存在を意識することができるようになった。

元々、私共の仕事や活動と生活の場所は名古屋にあり、協会は東京板橋区にあって、遠く離れている。日頃はそれほど簡単に東京と名古屋の間で行き来できるわけではない。10年程前初めて、私たちNGOの「セナール・スーダンの会」のために、スーダンの盲留学生の受け入れを金さん達の属する協会にお願いして、現在まで合計7名のスーダン人盲留学生を世話して頂いた。遙か西方、アフリカの政情不安定な国情にあるスーダンにまで金さんと荒木さんの二人に出かけて頂いて毎年1名ほど受け入れを引き受けて頂いたそのご尽力に対する、感謝は筆舌に尽くしえない。以来、視覚障害者の留学や自立事業のために各国へ行かれる折に、インドネシア、韓国、台湾、ケニアなどへ私も同行させて頂き、その都度この事業の意義を知る喜びを深く味わうことが出来た。

荒木さんは普段、自ら積極的に自分のことを吹聴したり、活動をアピールするタイプではなかったように思われる。むしろ金さんの脇で裏方あるいは事務方としての役割に徹しながら、こつこつとかけがいのない働きを尽くされたと思う。ただそのような彼女から折に触れて無理にでも話を聞き出すときには訥々としたあの語らいの中に、類い稀なユーモアのセンスや他者への思いやりが滲み出ているのを十分感じ取ることができた。彼女の内に秘められた頑張りや気力、あるいは彼女の向上心などをその一言ごとに感じ取ることもでき、私共はそうした彼女の部分に接して支えられ、今日まで励まされてきたことを思う。

願わくば、残された私共が再び天国で彼女に迎えてもらえるよう努力しよう。そのときには盲留学生達と皆でいろいろな語らいをしたい。確かに彼女には、再びお目にかかることはできない。しかし電話をかければそのまま彼女の声が聞こえてきそうな気がする。空港で海外の盲留学生達の所へ行こうと待ち合わせる折りには必ず彼女も同行して面倒を見てくれていそうな感じがする。そんな荒木さん、ご苦労様でした。しかし一区切りしてまたやりましょうね。

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                           荒木由紀子(出雲)

 

義姉久子さんの召天に際しましては、多方面の方々に一方ならずお世話になりましたことを、紙面をお借りして家族一同感謝申し上げます。

 生前、久子さんの生きる姿勢に共感して下さる人達によって支えられ今日があったことを今になって初めて知ることになりました。

若くして上京し、苦労も数知れずあったことでしょうが、それを全く感じさせず、明るく前向きで芯がぶれない、また地球2周半相当の飛行時間を記録する豪放磊落さの中にも姪の子どもたちを孫のように思い、誕生やお食い初め等々、節目々をとても大切に祝って下さる等、日本人のもつ美しい情緒も兼ね備えている、しかも肩肘張らず自然体の佇まいだった久子さんにもう会えないと思うと淋しさ一入です。

大いなる夢をいだきながら仕事に打ち込んでいただけに、中途で断たれる無念さを思うと、元気な時にもっと夢を語り合ったり、海外へ一緒に行ったりしたかったのにと後悔の念にたえません。(後悔している暇にもっと世界に目を向けなさい!!と天から久子さんの声が聞こえそうですが・・・)

帰天より1ヶ月が経ちましたが、不思議と悲しみの感情が思ったほどわきません。むしろ世界中の、はたまた俗世間の出来事をおもしろおかしく話してくれていた姿が思い出され、そこに魂はないのに思い出話ですら笑わせ和ませてくれる久子さんの不思議な魅力は、いつまでも私達の心に残ることでしょう。