NPO法人 視覚障がい者国際協力協会(ICA)

視覚障がい者の自立を目指して

あいか通信34号 2007年9月号

              ケニアに来て1年 

                       JICA協力隊員  五味 哲也

「たった1ミリの違いで患者の感じ方がちがうんだよ」「ここまで押すとイタ気持ちいいけど、さらに押すとイヤな痛みだろ?」たった1ミリ、たった何グラムかの差。「凝り」や「張り」の概念すらない人達に言葉に表現できない曖昧模糊とした部分を伝える事の大変さ。

ケニアに来て早11ヶ月。水が出ない生活で、朝はパン、昼は「ギゼリ」(豆と飼料用トウモロコシの塩茹で、昼食は食堂で生徒と食べます)夕食は「チャーハン」か「ソース無しお好み焼き」(水が無くても出来る)の生活が数ヶ月続いています。

決められた量の水で生活するのに、色々な生活の知恵を生みました。例えば体は下着で洗う事で一石二鳥になります。唾液で歯磨きしてその汚水(液?)は食器の付け置きに。トイレの「大」は数回に1度流す。全ての生活排水をトイレ用に使うのでトイレからは異臭が放たれます。それに吸い寄せられる小虫やその子供達。水恋しさかカエルが排水管を逆行して、ドアを開ける度に驚きぴょんぴょん跳ねる。そんな環境で用を足すのは気分が悪いので電気を消してなるべく見ないようにしたり。

インフラが不完全なのにどうして水洗便所なんだろ?どうせなら昔ながらの穴に蓋をする式の方がいいような気もしますが、人は適応します。最近は自分の汗臭さにも辟易しなくなりました。

まあ!こんなトイレの話は置いといて。来年は活動の小さな結果がでます。次ターム(11月末終了)に私の最初の生徒が卒業します。果たして社会に受け入れられるかどうか、私自身、不安でもあり楽しみでもあります。

これまで難しいと感じた事は相手の宗教や習慣の違いを踏まえながらも、こちらの望むことをわかってもらうことです。ある雨の日。といっても、服が少し湿る位の弱い雨ですが・・・いやな予感がしました。案の定、彼らは教室に来ませんでした。

これまで時間の大切さ、私達のクライアントは日本人や欧米人である事。又、ナイロビで患者さんをインタビューした結果、ケニア人治療家がその患者に慣れてくると時間やお金にルーズになる事。以上から患者との信頼関係構築を重視して説いてきました。 

学校の他の学科は先生が時間を守らず生徒もあまり信用していません。しかし「按摩指圧」クラスだけは時間通りです。しかも1分遅れたら1分延長と、雄大な自然の中で暮らしている彼らには少し厳しいものです。それがようやく実行され、私の言わんとしていることが伝わったかな?少し自惚れ始めた時に、この程度の雨を理由に授業をサボった事は私を失望させ、怒らせました。言われた通りのことは出来るようになってもやはり本質がわかっていなかったのです。その日の午前中は授業をつぶし議論の時間にしました。彼らは何かと様々な言い訳をします。(どんな言い訳をするのかそれも私の楽しみでもありますが)

 

「ここはアフリカだ。俺たちは日本人じゃない」「雨季にケニアの学校は長期休みになるんだ」「俺たち盲人は耳を頼りに歩くから雨が降ってると聞こえなくて歩けないんだ」よくも、まあ次から次へ出てくるもんだと、「恥」って感覚は無いのかな?なんて思いながら聞いていました。

しかし、言い訳からは何も生まれず我々の前進にはなりません。治療家中心ではなく患者中心に物事を考える事。この先「按摩指圧」がケニアで根付き彼らが競争に勝っていくにはこれを徹底する以外に道はありません。また現在の限られたマーケットではいずれ供給過多になるでしょう。最初のうちは仕事があるでしょうが、おいしい思いを少数の人達だけが享受出来るのは長く続きません。真似をするものもあるでしょうし、晴眼者が参入してくる可能性もあります。でも、勝負はこの時からと私は踏んでいます。ここで淘汰されないように、技術を教えるのみならず、営業活動やデモンストレーションなどで「仕事が無きゃ自分で探す、又新たな需要を作りだす」という積極性や心構えが重要です。

生来ののんびりさか、長く植民地になっていたお国柄か、彼らの性格かわかりませんが仕事は与えられるもの、という受身姿勢からなかなか抜け出せません。かといって私だけが発奮して後ろを振り返ったら誰もいないというのは意味の無いことです。「心」と「技」を教えつつ、又私自身「日本」という何も無い所からいろんなものを作り出してこられた先人達の苦労に叱咤されつつ残りのあと1年少しの任期を彼らと共に歩んでいきます。

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             闘病日誌 癌との付き合い (2) 

                          荒木久子(事務局)

前号の文章を読まれた方から「初めて知っておどろいた」「今も辛いの?」と心配して頂き電話やメールでのお問い合わせが数多く寄せられました。驚かせてしまい申し訳ございません。今は腫瘍マーカー値もかなり下がり後一歩というところまで来ていますのでご安心下さい。

(続き) 大腸カメラで大腸に5~6センチの癌があり肝臓に転移していて大小無数にあり、手術では取りきれないので抗がん剤で叩きましょう!と外科担当(ここからは消化器科を離れて外科の担当となる。)のF先生(主治医。現在も同じ)に代わる。

323日 今日は胃カメラで胃の検査。人により感じ方が違うらしいが、私には他の検査に比べとても辛かった。横になり口に輪のようなものをはめられ、カメラを静かに入れる(消化器科の主治医、I先生)。ここまではスムーズに行ったのに、担当の技師さん(女性)に代わってから苦しみが始まった。上げそうで我慢したが空気を入れながらの検査で、ゲップをしそうになるが必死に耐えた。でも我慢できなくていっぱいゲップをしたら、「ゲップを出したくなるのはわかるけどがまんして!」と怒られた。口に輪っかをはめられてどうしてゲップを止められるか?あまりの厳しい口調に“鬼”かと思ったくらいだ。随分時間が掛かったが胃には何も無く、とりあえずはホッとしたが、悔しさは収まらない。「どのようにしたらゲップを抑えられるんですか?」と文句を言ったら「他の人は問題なくやっていますよ」と一笑された。

午後からはMRI検査。胃カメラより楽だったが時間が長く20分くらいを3回。3回目は造影剤を注入しての検査。息を10秒から20秒止めての検査。終わったらドッと疲れが出た。

24日 この日の検査は胸のCT、心電図、肺活量、心エコーと盛り沢山。毎日の検査中もずーっと点滴は続いた。栄養剤、貧血予防等々。

25日 この日主治医から「ご家族に説明をしたいので来てもらえますか?」と言われる。家族は島根県出雲市に居る。連絡をして手術の前日に妹が来てくれることになった。

主治医から「手術前に一度外泊をしても良いですよ」と言われ、友達に連絡をしたら車で迎えに来てくれて、その夜は久しぶりに我が家でゆっくり寝られた。でも“もしかして2度と帰ることは無いかもしれない”と思ったらじわっときた。

26日 この日は朝から花の水やり、洗濯、家の片付け(少し)をして、午後は事務所で会報の封筒詰め等をして夕方再び病院へ戻る。夜は同室の人が二人退院したので私ひとりでゆっくり眠ることができ感謝である。

27日 一昨日は点滴の針が中々腕に入らず、諦めて飲み薬を飲んだ。今日はまた2回失敗し、主治医が可哀想だからと自ら試みて下さったが入らず、婦長さんを呼んでくれたら1回ですんなり入った。さすが!!「怖がると余計に入らないのよ」と言われた。夕方入浴とシャンプーをした。

 

28日(手術前日) この日はレントゲンとバリウムを入れての腸内検査。検査は全て終了。午後カトリック志村教会のルイ神父様(フランス人)が来てくださり手術前のお祈りと御聖体(キリストの身体と言う)を頂き力を得る。夕方妹も来て外科のF先生から、病状・手術の説明を受ける。「大腸の癌はステージ4で末期癌です。肝臓癌は大腸からの転移でしかも大きすぎて今回手術で取り除くことはできないので、術後抗がん剤を使います。今後もご家族だけ呼んで話すことはしません。貴女と一緒に戦うつもりですから、協力して下さい。このまま何も治療をしなければ余命は半年です。」と言われた。この言葉で「この先生となら上手くやっていける」と確信した。妹と今後のスケジュールについて話し、7時過ぎに帰っていった。(続く