NPO法人 視覚障がい者国際協力協会(ICA)

視覚障がい者の自立を目指して

あいか通信31号 2007年3月号

                事務局から

季節が後戻りしたかのように寒い日が続いておりましたが、桜の便りも聞かれるようになりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。2006年度の記念事業のうち残っておりました「35年の歩み(仮称)」の出版がようやく日の目を見ることになりそうです。内容は私と盲留学生との35年間の小史です。次号ではもう少し詳しいご報告ができるかと思います。(金)

既にお知らせして来ましたように、2004年度ケニアで「あん摩技術講習会」を行いました。実際やってみて感じたことは、日本から講師を派遣して集中的に講習を行うことは、物理的にも経済的にも無理ではないか。それならばケニアの視覚障害者関連機関に「あん摩科」を設置して新しいあん摩師を養成したほうがより効果的ではないかと思いました。そこで、マチャコスにある「視覚障害者技術訓練校」のサヤ校長にお願いすることにしました。そしてそのあん摩コースを修了した人の中から希望者には私どもの協会が行う、よりレベルアップをした理論も含めた研修会に参加してもらうことにします。

一方、JICAに対してはあん摩の講師として青年海外協力隊員を派遣してもらうようにお願いをしました。

幸いにも双方うまく運びこの1月「あん摩コース」が始まりました。始まったとはいえ、ゼロからの出発ですのでこれからが大変です。協会としてもできるだけの協力はするつもりです。

派遣された青年海外協力隊員は、五味哲也さんです。彼は既にインドネシアでも教えた経験があり、将来が楽しみです。あん摩コース開設の準備等苦労話を書いてもらいました。

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              マチャコスからの報告

                   青年海外協力隊員  五味 哲也

東アフリカ、ケニア。と聞いて皆さんは何を思い浮かべるでしょうか?ライオンや象などの野生動物たちでしょうか?それとも旱魃や貧しい人々でしょうか?

私は青年海外協力隊員(ODA事業の一環のボランティア事業)として首都ナイロビからバスで2時間弱のマチャコスという小都市で活動しています。まっすぐ果てしなく続く道に舞い上がる土煙と行きかうケニア人、夕陽に浮かぶアカシアの木々のシルエットや放牧を終えた沢山の牛達、そして地平線に続くサバンナ。そんなイメージがぴったりの場所です。

そんなマチャコスにある視覚障害者技術訓練校が私の活動場所です。私はアフリカでは初めて鍼灸、あん摩・マッサージ・指圧師隊員としてケニアの視覚障害者に日本の伝統医術である「あん摩」を教えています。以前ICA視覚障害者国際協力協会)が行った「あん摩技術講習会」が私の派遣に至ったきっかけになっています。ケニアでは視覚障害者がマッサージ技術で生活の糧を得る習慣がなく、ごく少数の人達が教師や法律家などになり、また多くの人達が路上にて物乞いをするのが現状です。

「あん摩」技術は視覚障害者にとり天職とも言うべき技術で日本でも古くから行われてきました。この技術をケニア視覚障害者の職業の一つとして確立していくのが私の活動の主目的です。また単なる「技術屋」を育てるだけではなく、視覚障害者が社会で胸を張って生きていけるように医療としての「あん摩」を通じて社会的地位を高めていければと願います。

私の生徒の1人はある日家に帰ったら両親、4人の兄弟が忽然と消えていました。実の家族に捨てられた盲目の少女1人、どんなに寂しかったろうと思います。家族がやっと食べていけるケニア人家庭では、職を得ることが難しい視覚障害者は大きな負担だったのでしょう。また地方では差別も強いと聞きます。彼女がした日本についての一番最初の質問は「日本では視覚障害者は差別されるの?」でした。日本でも障害者の方達の生活は厳しくなっていますが、それでも彼女からすると夢のような国と映るかもしれません。

多くの、いや、ほとんどの生徒が「あん摩」に興味を持ち私から教わる事を望んでいます。少しでも多くの生徒があん摩を覚えて社会で活躍してくれればと思いますが、残念ながらマッサージを受ける人々は首都ナイロビや観光地モンバサの一部の富裕層(特に欧米人)に限られています。中間層の少ないケニアでは、需要自体が少ないので、安易に卒業生を増やす事は彼らの競争が激しくなったり、「あん摩」自体の評判の低下にもつながります。そして、「あん摩」自体の啓蒙も必要です。今後技術指導と並行して現地NGOなどと協力しながらこういった問題に対処していかなければならないでしょう。

とは言え、ケニアに赴任してまだ4ヶ月。ケニア人に「あん摩」や東洋医学の概念を教えるのには苦労しています。言葉は公用語が英語、現地語がスワヒリ語、さらに現地人語(?)がカンバ語で、3種類を話す相手や状況に応じて使い分けます。辞書は片時も離せず、家に戻るとぐったりです。赴任当初は教室もベッドも無く、全くのゼロ。授業のタイムスケジュールや期間、教材作成、生徒の選抜などもすべて私に丸投げの状態でした。いったい「あん摩」って何?経絡?鍼を身体に刺す?ところであなたは中国人?日本人ならクンフーできる?もう全て白紙。私自身もいったいこの黒人達に自分のあん摩技術が通用するのか?または需要があるのか、色んな不安がありました。まずは日本の学校で使っていた技術教科書を翻訳して指導すると同時に、廃ベッドを利用してあん摩用のベッドに改良。大教室をベニヤ板で仕切り実技用の教室を作り、看板の作成。まさに、物作り、人造りです。

そんな作業の中での私達日本人の価値観と現地の価値観の相違がとても興味深いです。ここにいるとむしろ日本人の私が特異な人種なんだと感じます。日本人らしい職人気質や、世界の「ソニー」や「ホンダ」もこのような小さいオフィスから始まったんだと授業の合間に話したりして彼らの夢やモチベーションを刺激し、気持ちを高める事も異文化交流としては重要です。

そう、異文化交流も私達青年海外協力隊員の大きな役目です。私が彼らの考え方や行動に合わせるだけではなく、こちらの考え方や感じ方も正直に話す事がお互いの交流がよりなされるのではないでしょうか?私達がケニア人とタンザニア人の違いが判らないように、彼らも中国人と日本人の区別がつきません。

国際化、グローバル化といわれながらも人と人の「ハラを割った」交流は意外となされてないと思います。そして気づかされるのは私自身が日本を意外とわかっていないという事です。彼らの目を通し逆に私自身が日本人なんだと気づかされ、また日本という国の輪郭が見えてくる気がします。何しろ彼らが主役です。そして新しくこのアフリカの大地で彼らが彼らのための道を作っていかなければなりません。今私はその道を切り拓き、手を引いて案内していますが、いずれは彼ら自身で歩めるようになるのが私を含めた関係者の夢です。私がよく言うのは「生涯現役」「生涯勉強」です。低いレベルで満足することなく常に上を、そして前を見てポレポレ(ゆっくりゆっくり)で歩んでいってもらいたいと思います。

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